キリオがウチにきたのは、初めて仙台に住むことになった時だ。
姉上と何の気ナシに覗いた千葉のペットショップに、
2〜3羽の文鳥の子供がいたのである。
その時の子供が妙に忘れられなく、姉上に頼んでその文鳥を買ってきてもらい、
一人でご飯が食べれるようになるまで姉上に育ててもらった。
そしてその後キリオを引き取り、仙台へ連れてきたのだった。
当時、知らない土地で一人でいるのが辛く、
そんな時なぐさめてくれたのは
いつもキリオだった。
寂しい時、辛い時、悲しい時、嬉しい時、いつも傍にいてくれたキリオ。
だから、当然キリオは、私にとってかけがえのない子になっていった。
実家に帰る時も、必ず長距離バスにキリオも連れて乗り込み帰っていたほど、
片時も離れられない状態に次第になっていた。
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仙台にいた頃、キリオの日課は、朝起きるとすぐにカゴから出してもらい、
窓際の朝日の当たる机の上で、日向ぼっこをしながら羽繕い。
その後、私がバイトに出かけるまで自由行動。
出かける間際に、「さあ、カゴへ入ろうね」と手を差し出すと、
イヤイヤをして散々逃げ回る。
逃げ回った挙げ句、私が泣き真似をすると、心配になって傍へ寄ってくる。
ここがポイントである。
ここで、キリオを捕まえられないと完全な遅刻だ。
ドキドキしながら、素早くキリオを抱き締める。
ようやく、これで今日も遅刻せずに済んだ!という毎日を過ごしていた。
仙台にいる間、私は諸々のストレスから実は、ちょい自律神経をヤラレていた。
そのため、毎日何をしてキリオと過ごしていたのか、
実のところ、あまり憶えていないのにこれを書いていて気づいた。(笑)
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そんな仙台から引越が決まったのは、1年半後のこと。
今度は埼玉だった。
引越が決まってからは、部屋のリフォームの打ち合わせで、
キリオも一緒に新居へ連れていくこともあった。
がらーんと何もない部屋で、響き渡るキリオの声(?)の中、
業者と打ち合わせをする。
その後、千葉の姉上の家へキリオを預けに行った。
”待っててね、キリオ。引越が終わったら、必ず迎えにくるから!”
泣く泣くしばしの別れである。
その3週間後やっと引越が終わり、姉上がキリオを我が家に連れてきてくれた。
”会いたかったよ、キリオ〜〜〜!!”
カゴから出してやるとキリオは、今までと違う家の中を落ち着かない様子で、
グルグルと飛び回っていた。
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キリオは一人っ子のためか、かなりの寂しがりやで甘えんぼだった。
例えば、私がトイレに行く時もついてくる。
(これはちょっと、何だか恥ずかしかったり。汗)
風呂に入っていても、洗面所のカーテンの隙間を脚で広げ入ってきて、
脱衣カゴの縁に止まって、風呂から出てくるのをずっと待っている。
「キリ、そこにいるの〜?」
と風呂場から声を掛けると、必ず返事をする。
「ちょっと待っててねぇ、今出るから・・・っ」
あたふたと風呂から上がり、キリオに見られながらも着替えを済ませる。
そんな感じであった。
そして、キリオは手の中も大好きだった。
撫でてもらうとウットリしている。一緒に布団の中で寝たりもする。
そのうちそれが普通になり、私が寝ていると布団に潜り込んで
くるようになった。
極めつきは、服の袖口や首からお腹へと入ってくるようになっていたことだ。
(私はもはやカンガルー状態。笑)
とにかく、隙あらば狙って入ってくる。
入ってきては、何やらモゾモゾ、くちばしでヒトのお肉をつねったりする。
しいては、ティッシュや魚、エビの尻尾までも持って入ろうとする始末。
どうやら布団や服の中は、キリオにとって自分の巣と同じらしかった。
とにかく呼べば返事をし、手招きや手を振っただけでも飛んでくるキリオは、
究極の手乗りへと育っていったのである。
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