懐古編(仮)

  第九話

海岸へ着くと、
ルトが嬉しそうに打ち寄せる波と戯れていた。
陽はまだ高いが、時期が少し早いためだろう。
海辺に人の姿はなく、あるのはルトの姿だけだった。

彼は愛馬から降りると、草履を脱ぎ、波打ち際まで歩いて行く。

「あっ?侍ぃー!遅かったでしねぇ?」
ルトは侍に気づく。

「・・・楽しいか?」
「はいでしっ!」
その問いにルトの赤い瞳は輝く。

「そうか・・・」
と侍はルトの頭を撫でた。

「私も海は随分久しぶりだ・・・」

そう言って、彼は打ち寄せる波にその足を濡らす。
潮の香りを胸一杯に吸い込む。

ふと、彼は深い海の色にも似た雫の瞳を思い出す。
その瞳が水面のような輝きを取り戻せるのはいつだろう。

ルトは、彼の表情が幾分暗いのに気づく。

「侍・・・?」
「うん・・・?何だ?」
「ううん。何でもないでし・・・」

ルトはその訳を聞こうとしたが、止めた。
多分・・・屋敷が近いからだ、そう思ったからである。
自分は侍の生家を知らない。
だが、そこにあるのは辛い思い出だけだ、
ということは分かっていた。

「さて・・・そろそろ行くとしよう」
「はいでし」
「せっかくだ。
 このまま海岸際を行けるところまで進むか?」
「えっ?ホントでしかっ?」
「ああ」
彼は嬉しそうなルトの顔を見つめ、頷いた。

そして愛馬の首をポンポンと叩くと、背にスルリと跨り、
「夕陽が落ちる様もまた美しいのだがな・・・」
と言った。

「そうなんでしか?
 帰り道に見れるといいでしよね〜♪」

ルトは侍の肩の上で屈託なく楽しげだ。
それとは対照的に、侍はもう海の方へは目もくれず、
厳しい表情を浮かべるだけであった。




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